80年代洋楽を思い出す(24)〜プロデューサーが作った「時代の音」

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ここ日本でもソングライティングまで含めた「プロデューサー」の存在はよく知られたところではありますが、洋楽の分野では最近あまり聞かれなくなりました。アーティスト自身が全て手掛ける事が多くなっているんですね。

しかし、80年代はそうではありませんでした。ある意味、80年代サウンドはプロデューサーが作り上げた、と言える面も持ち合わせているのです。もちろん、60年代のジョージ・マーティンやフィル・スペクターに代表されるように、やはり「その時代の音」みたいなものは各年代存在していましたね。近年が例外なのかもしれません。

EW&Fのアルバムって、邦題が面白いですね。

それでは、代表的なプロデューサーを挙げていきますね。

クインシー・ジョーンズ 
ミュージシャンとしても歴史に名を刻む偉大な方ではありますが、ジャズ・ミュージシャンの頃からプロデュース志向は強い人ではありましたね。まあ、クインシーだけでブログ一話分くらい語る事はできてしまいますが、ここではやはりマイケル・ジャクソン「スリラー」「BAD」とあの「We Are The World」でしょうね。まさに80年代最大の「大物」とも言えましょうか。

デヴィッド・フォスター 
硬派なブラスロックバンドだったシカゴをバラードバンド(「Hard to Say I’m Sorry〜素直になれなくて」など)に変身させてヒット連発するようになったのは、こうやって俯瞰してみると大変凄いことでした。他にはEW&F「After The Love Has Goneセリーヌ・ディオンの作品で知られていますね。ポップで甘いけど都会的、そんなイメージがありますね。自身のユニット「エアプレイ」も、同名アルバム一枚だけながら名盤と言えます。

ナイル・ロジャース 
70年代はシックのソングライター&ギタリストとして有名でした。あのカッティングは本当に「ノレ」ますよね。そして80年代はマドンナ「Like A Virgin」デヴィッド・ボウイ「Let’s Danceのプロデューサーとして名を馳せました。最近もダフト・パンクとの共演でクロースアップされましたね。書いていても、カッティングがリフレインしますわ(笑)。

トレヴァー・ホーン 
79年にバグルスのメンバーとして「ラジオスターの悲劇」をヒットさせました。プロデューサとしてはなんと言ってもイエスの80年代大ヒットアルバム「90125(ロンリー・ハート)」ですね。他にもフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなど、「仕掛人」としての役割を務めました。

クリス・トーマス 
60年代後半からミキサーあるいはプロデューサーとして活躍してきた方ですが、80年代ではINXSの大ヒットアルバム「KICK」エルトン・ジョン、プリテンダーズの諸作で辣腕を振るいました。

ボブ・クリアマウンテン 
ミキシング・エンジニアですが、ここで取り上げる事にしました。彼がミックスしたのはブルース・スプリングスティーン「Born in The USA」ブライアン・アダムスの諸作(プロデュースもしています)、プリテンダーズ「Get Close」といった、どちらかと言えば名前の通り?クリアで垢抜けたロックサウンドを得意としていますね。オーディオマニアとしては、ヤマハの小型モニタースピーカー「NS-10M(通称テンモニ)」を広めた方、という認識もあったりします。

ジャム&ルイス 
ジミー・ジャムとテリー・ルイスの二人からなるプロデューサー・チームですね。やはり思い出されるのがジャネット・ジャクソン「Control」ですね。「ジャクソン」姓の呪縛から解放させてくれたのではないでしょうか。

テディ・ライリー 
80年代後半から隆盛を極めた「ニュー・ジャック・スイング」を作り上げたのはこの人。ボビー・ブラウン、キース・スウェットといったアーティストが有名ですね。

こうして見ていくと、それぞれの偉大な仕事をもっと深掘りしたくなってきますね。プロデューサーという仕事は裏方かもしれませんが、ミュージシャンの演奏する「音」を「作品」として完成させるという、大変重要な役割を担っているのです。「もし、この人がプロデュースしていなかったら…」と考えると、この「80年代シリーズ」は書けないくらい味気ないものになっていたのかも…

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