80年代洋楽を思い出す(2)〜「産業ロック」

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今回は「ムーブメント」というわけではありませんが、80年代当時洋楽リスナーの間で少し話題になったお話をしたいと思います。それが、

「産業ロック」。

これは音楽雑誌「ロッキング・オン」社社長である渋谷陽一氏がエッセイの中で話した内容で、つまりは「商業主義的」な売れ線に走ったと思われるロック音楽を批判しての発言なわけですね。今考えると、ネーミングのセンスと言いますかマーケティング能力はさすがだと思いますね。最初にこのワードを聞いた時、純粋な若者だった私は「やっぱりロックは時代と戦わないといけないんだ」などといとも簡単に踊らされてしまったわけです。元々音楽が好きな志向を持つと、売れ筋よりもマニアックな方面に行きがちではありますが、この「産業ロック」発言はこの傾向をさらに助長されていったことは間違いありません。「ロッキング・オン」も欠かさず購入するようになりました(笑)。「仮想敵」のような存在を作る手法、そういう点からも「上手いな」と思わざるを得ませんね。

日本ではそんな汚名?を授けられてしまった「産業ロック」ではありますが、実際どのような方々が該当するのでしょうか。

ジャーニー

「産業ロック」で検索をかけるとまず名前が出てきてしまいますね…。代表曲「セパレイト・ウェイズ」のように盛り上がりまくる大仰な曲調、「オープン・アームズ」のように壮大なバラード。そりゃあ、売れますわ。スティーヴ・ペリーのハスキーなハイトーン・ヴォイス、ニール・ショーンのツボを押さえたギタープレイは盤石とも言えます。80年代という時代を象徴するバンドの一つではないかとも思いますね。スティーヴのソロ作も印象深いです。現在のヴォーカリストはYouTubeのライヴ映像をニールが観て決めた、という異色の経歴の持ち主だったりしますね。確かに、声だけ聴いていたらスティーヴそっくりです。

サバイバー

映画「ロッキーIII」のテーマ曲「アイ・オブ・ザ・タイガー」が大ヒットしました。オープニングのギターを思わず口ずさみたくなりますね〜。映画のヒットにも大きく貢献していたのではないでしょうか。それもあってか、続編の「Ⅳ」にも「バーニング・ハート」がテーマ曲となりました。こういう勇ましい曲のイメージが付きすぎてしまった感はありますが、メロディアスなバラードも持ち味です。

フォリナー

こちらは「ガール・ライク・ユー」や「アイ・ワナ・ノウ」といったバラードが売れましたね〜。個人的には少しハードめなロック楽曲がルー・グラムの声が活きてカッコいいと思います。「アージェント」や「セイ・ユー・ウィル」といった曲ですね。実際、ルーはバラードよりハード路線に行きたかったようで、それでバラード路線を主体にしたいギターのミック・ジョーンズともよく揉めていたとか。まあ、売りたいのであればバラードなんでしょうねえ…。

TOTO

確かに80年代は特に「TOTO Ⅳ」が売れに売れまくりました。「ロザーナ」「アフリカ」といったキラー・チューンはエバーグリーンな魅力を持った曲ですね。私もクルマには必ず彼らのベスト盤は常備して時々聴いています。実際には腕利きスタジオミュージシャンが集合したスーパーグループなので、テクニック満載で楽器を演奏する人ならば奥が深いバンドであることが分かるのではないでしょうか(私は演奏できませんw)。このバンドに関しては、また別に取り上げたいですね。

エイジア

こちらもスーパーグループで、イエスやクリムゾンなどプログレ界の大物が集結したバンド。プログレと言えば長尺の曲で知られますが、そんな大物たちが何と3分半のポップロックを演奏するというギャップもあってか、いや純粋に曲の良さでしょうかね、とにかく大ヒットしました。確かにその3分半の演奏で、様々なエッセンスが散りばめられていますね。

REOスピードワゴン

なかなか売れない長い下積みを経て、80年にようやく「キープ・オン・ラヴィン・ユー」が大ヒットしました。本来はオーソドックスなロックンロールが得意なバンドですが、泣きのバラードがヒットするせいか、邦題も「涙の」が付くものが3曲もあります。

他にもボストン、カンザス、スティックスなどがよく挙げられますね。しかしどうでしょう。このラインナップを見て思うのは、どのバンドも真っ当に良いロックを演奏するバンドなんですよ。メロディがキャッチーだったり、シンセサイザーを使ったりと、当時の時流だったエッセンスを加えているだけでそういうレッテルを貼られてしまっているだけだと思いますね。今聴いても、「ああ、やっぱりいいなあ」と素直に感じます。

同じように思っている方は多いのではないでしょうか。当時にしても「産業ロックで何が悪いのか」と熱心に聴かれていた方もいらっしゃると思います。そう考えると、渋谷氏は「仮想敵を作ったが、うまくその敵も光らせていた」とも言えるのではないでしょうか。上手いプロレスラーのように。

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