前回のブログで、「長岡鉄男の仕事」を読んでのレビューと言いますか感想文的な内容を投稿しましたけど、読んでいて思い起こしたのがその昔、長岡鉄男氏が我が家(実家)を訪問した時のことでした。その模様は現在は廃刊ですが「オーオディオベーシック」という季刊誌に掲載されました。
さらにその時の顛末などを自分のホームページに掲載しておりました。今回は、その内容を転載したいと思います。あのホームページも残ってはいますが、いつ閉鎖するか分かりませんしね。ところどころ注釈は入れるかもしれませんが、ほぼ原文のまま掲載したいと思っています。何だかカッコつけたエッセイ調なのは若気の至りという事で、何卒ご容赦願います。時折、現在の自分が口を挟みますがこちらもお許しください。また、結構長丁場になっていましたので、一気に掲載というわけにも行かなさそうです。というわけで、数回に分けますね。それでは第一回スタートです!
いやあ、本当に驚いたなんてもんじゃない。
あの、オーディオ界で名を知らぬ者の無い、長岡鉄男先生が拙宅を訪問したのである!
夢のようだが夢ではない。3月18日に発売した、「オーディオベーシック」に掲載されている通り、私の部屋でD-105の音を聴いていただいたのである!
「!」ばかりで申し訳ない。それでも興奮の1日だったことは間違いない。忘れもしない、1月22日土曜日、朝9時半を廻ったところ、興奮を抑えきれないまま私は車を出発させた—–
それは2000年を迎えてしばらく経ったある日のこと。いつものようにメールをチェックしていた私は、オーディオ関係の掲示板で御世話になっていた、「FMファン」の編集者から「取材のお願い」という、「?」とさせるタイトルのメールを受け取った。
そしてその内容は私を大いに戦慄させた。長岡先生の「漫遊記」に掲載される!というのである。その時おそらく耳まで真っ赤になっていたに違いない。少し手をバタバタさせて冷静になろうと努めた私は、「こういうこともあるんだなあ」と思う以外何も考えられなかった。
実際には予兆はあった。前述の掲示板で、次の「漫遊記」は東海地方であることは知っていたのだ。そうして候補者は決まりつつあり、私自身も顔を合わせた方でもあったので、楽しみにしていた。自分の中で冗談交じりに、図々しくお手伝いに家に行って、長岡先生に直接お会いしたいものだな、などとぼんやり考えたりもしたのだ。そりゃ考えが甘すぎだな、と否定しながら。
しかし、考えは甘い、というのとは別の方向へ事態は進行していたのだ。
また掲示板の話になるのだが、そこで東海地方在住の常連は私を含めて4人であった。何故かそのため、「東海四天王」と称されていたのだ。つまり、当初単独で「漫遊記」取材を受けると思われていた「か○」氏は、編集者と密約を交わしていたのだ。「四天王全員を取材する」と。
そして上記の様なメールを受け取ることになったわけだが、冷静さを取り戻しつつあった私は、ちょっと、いやかなり慌てた。「時間がない」。なにせ2週間しかない。部屋を見回す。どうしたってこの恐ろしく汚い部屋は誤魔化しようが無かろう。「掃除せねば!」。その時から、いきなり私は奇麗好きと化したのであった。一瞬ではあったが。
年末に雑誌などはかなり処分していたとは言え、まだまだ散らかり具合は客観的に見ればとても人様を部屋に上げられる状態ではなかった。しばらく私は呆然と立ち尽くした。しかしいつまでも困っているわけにも行かない。まず友人に電話をかけて翌週のスノボの予定をキャンセルした。今シーズン初滑りだったので残念だが、遊んでいる場合じゃない…掃除だ掃除だ掃除だ。
考えたことは押し入れに余計なものは詰め込んでしまう、という手だ。しかし押し入れを開けてさらにやらねばならないことが増えた、という事実にぶち当たった。押し入れから片づけねば…私はブチギレた様に押し入れに詰まっていた良く分からないものを片っ端から引きずり出した。それだけで部屋は大変なことになった。以前「D’You Know What I Mean?」で写真を出したことがあったことを覚えている方はいらっしゃるだろうか?もの凄く汚い「掃除」の写真を。これでまたしばらく呆然としてしまった。明日はどっちだ?
何度目かの気絶から甦った私は気合い一閃、ブルドーザーとなって自分の周りの余計なものを片づけ始めた。異様なハイテンションな中、次々と「可燃物」と「不燃物」に分けたポリ袋に詰め込まれていくモノ。…おれはこんなに要らないものを後生大事に持っていたのか。愕然とする事実。マスクをしていたのだが、舞い上がるホコリは無防備な目を容赦なく攻撃する。顔を苦痛に歪ませながら目の前の敵を各個撃破していった。ここまで来たら退却は許されない。
そんなふうにして自分では「生活感溢れる、全てが手に届く場所にある」と勝手に自画自賛していた汚い部屋は、「こんなに広かったっけ」と思わせる、妙にこざっぱりとしたシンプルな部屋となった。ただ、結局押し入れに最後は放り込みに近い形となってしまい、後悔することになる。
掃除は成功した。しかし、もう取材まで時間は殆ど残されていなかった。つまり、新たな不安、「取材のネタ」を何も用意していなかったのである。だがこれは断念せざるをえない。もはやタイムリミットだ。徒手空拳、どこからでもかかって来い、という半ば開き直った心境になっていた。と言うか、掃除で全ての体力、思考能力を使い果たしていたのだ。恐るべし、掃除。
「明日のジョー」の様に燃え尽きて真っ白けに(ホコリで?)なっている場合ではなかった。あっという間に取材当日を迎えたのであった—–

当時の興奮を思い出します。20世紀最後の年だったんですね。インターネット掲示板、というワードも懐かしいものがあります。これで「同好の士」が集まることになり、さらにはこうした取材に繋がったというのはインターネットがかなり身近なものになってきていた証でもありますね。スマホは当然まだ無い時代でPCでのやり取りでした。
しかしまあ、今でもそうですが部屋を散らかすのが得意ですな。普段やらないことをやると、ぐったり疲れますよね。ちなみに「D’You Know What I Mean?」というのは、自分のホームページの身辺雑記です。オアシスの曲名からそのまま取ってますね。まだスキーやスノボに行っていた、元気な若き日の自分。
取材開始予定時間は午前10時。愛車エクシヴを走らせていた私が、到着を知らせる電話を受けたのはもう駅に殆ど近づいたときだった。意外に車を停める場所の無い駅周辺は、ただでさえ冷静な判断力を失っていた私を困惑させた。結局ズルズルと少し離れた場所へ停め、私は駅のホームへと自分の足を走らせた。
ホームにはいくつかの荷物を足下に置いた30代と思われる男性がいたので、きっとそうだと思って会釈しながら近づくと、やはり「FMファン」編集者その人であった。そして歩いてきて、
「どうも、長岡です」とこちらより先に挨拶をされた人こそ、まさに長岡鉄男その人であった。
「うわわわわ、こちらこそ今日はよろしくお願いします」と慌てて挨拶する私。
写真で見るより普通の人である。やはり写真では少し強面のように見せているのか。少し緊張がほぐれた私は、この日の寒さのことをネタにしながら他愛もない話をして、歩いて車まで案内した。長岡先生も昨日訪れた大須の話などしながら、機嫌は良さそうだった。
先生は車では運転席(私)の後ろに座った。その隣には編集者の「炭○氏」、助手席には長髪のカメラマン「生○氏」が陣取った。それにしても今、長岡先生を車に乗せているとは…実感が湧かないものだ。きっとその時私は平静を装いながら結構緊張していたのだろう、あまり何を話していたか、記憶が薄いのだ。決して掃除疲れなどではないはずだが…こういう時間は貴重なので、勿体無いことである。
さて、家に上がってもらう。ちなみに私の住んでいる家は築3年、新しいのだ。昔の古い、40年以上過ぎていた家でなくて良かった、と思った。それはそれで味わいがあるが…何せ立ち上がるだけでレコードの針がとぶ、それはそれは凄まじいものだったからだ。舞い上がった胸のドキドキ音を聴かれやしないかと危惧しながら2階の私の部屋へのドアを開ける。
「ほお」と3人の声。ちょっとうれしい。D-105(ブックエンド)とスワンaが設計者の長岡先生を迎えた。
私もこうして改めて掃除した部屋に入ってみると、我ながら随分きれいにしたものだ、と感慨も覚えたりした。ま、今思うとほんの一瞬のことではあったが。「D-105ですね、このスワンはオリジナル?」「aです」などと会話しながら、先生はマシン群を観察していた。やはり往年の名機、「CDX-10000」に目を留めて、「ほほう、これは懐かしいね」と頬を緩ませていた。「これはね、中を開けるとセパレート状態になっているんだけど、その仕切りになっているボックス部分が結構鳴るんだよ、カンカンとね。その鳴きを止めてやるとさらに良くなったよ」と、江戸っ子弁のような口調で話してくれた。「炭○氏」も「本当にこれは良いプレーヤーですよ、今でも十分現役ですよ。今作れば60万以上すると思います」と、うれしくなるようなことを言ってくれる。
「お、こっちにもあるねえ」と、パソコンデスク上の「BS-89t」を見つけた。何か楽しそう。取りあえず先生はイスに座り、部屋をぐるりと見回した。そして「お、あれ作ったの」と自作したCDラックを指さした。近づいて行って、「もう少しペーパーをかけたほうが良かったね」とアドバイス。「なかなかここのスペースにしっかり嵌まるラックが売ってなかったので作ったんです」と私が言うと、「そうだよね、作るしかないよ」とにっこり。さすがである。「あ、これも作ったの?」と指したのは残念ながら市販品の「無印良品」ラックであった。MDFなので確かに手作りっぽい。そしてデスクのスキャナースタンド(ディスプレイの上を渡してある)とプリンタスタンド(マック本体の上を渡してある)も見つけて「これは作ったんでしょう」。その通りで、だいたい少々傾いているし、塗装もしていないし、ステッカーはベタベタである。いかにも出来損ない、と逆にそれを狙ったくらいの代物だ。
これら雑多なオーディオ以外の自作品も写真を撮っていたのだが、掲載されることはなかった。これは勝手な想像だが、次の訪問で「超・本格的」な「か○氏」の緻密な工作があったので、あまりに粗雑な私の日曜大工をネタにするのはちょっと…という、私を気づかってのことだったのでは…それは考え過ぎか。オーディオとは関係ないのでネタとしては弱かったのだろう。でもこうした粗雑さが私の本来の持ち味&キャラクターと思っているので、ぜひ対比して欲しかったという気もしたりした。そういえば「漫遊記」での私の「マイルドで、エレガント」というキャラクターは周囲ではウケまくっている。「ワイルドでエレファントの間違いではないか」などと。でも、あの時は「借りてきた猫」状態だったからなあ、自宅だというのに。うーむ、もっと「地」を出したかった、今思えば。
それはともかく、いよいよ試聴だ。先生はスピーカーセレクタ(これを書いている現在はもう使っていない、ラックスのやつ)を気に留めていた。「まだあるんだねえ、懐かしいな、これ。でも良くないよ、これ使うのは」と。「うーん、でもデスク用と105を切り替えるのは毎回なので」と私。先生は最初、スワンと105を切り替えるのだと思っていたらしく、それなら勿体無い、とおっしゃりたかったのだ。「それならナイフスイッチを使って自作したら良いよ。あれなら接点はしっかりしているから劣化は最低限で済むよ」とありがたいアドバイスを頂いた。そう。つまり例のセレクタはこのアドバイスから誕生したのでした。ありがとうございました。ただ、その時は「ナイフスイッチ」なるものがどんなものか分からず、幾度となく大須を探しまくることになるわけだが—–
あの時の愛車はコロナ・エクシヴ(中古)でした。現在流行の逆を行く、背の低いセダン(ハードトップ)ですね。家は当時は実家でした。一人暮らしをしたい気持ちが無くはなかったんですが、オーディオを鳴らしたい…となると実家がありがたかったんですね。今で言う「子供部屋おじさん」ですわ。編集者さんは中途半端な伏せ字にしていますが当然「炭山アキラ」さんです。

「BS-89t」はシンプルな10cmバスレフ「BS-89」を少し細長く設計し直して作った、初代デスクトップスピーカーでした。FE107を使用しています。自作したCDラックは引っ越した現在も現役です。長持ちしますね~。

「地を出したかった」とありますが、実際にはこれが「地」だったんじゃないかなあ、と今は思います。「ワイルド」なんて当時はキャラを作ろうと、弱い自分を隠すべく必死だったんでしょう。若いな(笑)。
まずはこの辺で、続きはまた後日にしたいと思います。



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