長岡鉄男氏が我が家を訪問された、2000年(4・最終回)

AUDIO
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2000年1月、長岡鉄男氏がオーディオ季刊誌「オーディオベーシック」の取材で我が家を含む4軒を二日間で回りました。私が一番最初の訪問先だったこともあり、全ての行程を一緒に辿る幸運に恵まれたわけです。その時の模様を当時自分が取り組んでいたホームページに掲載しました。その当時の文章を丸ごと転載しながら26年後である現在の自分が振り返る、という連載の最終回となります(私の名前だけは「白鷺」に直しております)。記憶が新しいうちに書いたという、「臨場感」みたいなものを味わっていただければ幸いです。今回は二日目、ホームシアター誌「デジビ」の取材ということで「ha⚪︎氏」のお宅へ向かいました。(ホームページから転載した文章は、背景も含めて青色にしております)

前々回にも書きましたが、「VRDS-25XS」はその後手に入れることになります。ヴァージョンアップも施したり、かなり使いましたね。しかし今だったらこの23kgあるこのプレーヤー、「重い、重い…」とヒイヒイ言いながら運ぶんでしょうねえ…当時は若かったから、あまりこれを運ぶことに抵抗は無さそうですが。いや痩せ我慢だったかもですね(笑)。国道41号は現在名古屋高速も完成して、この時よりは渋滞も少なくなりました。何せ当時はずっと工事をしているイメージでした。この時何のCDを聴いていたんでしょう?さすがに思い出せませんね。

VRDS-25XSを手に入れた頃。2002年のことでした。

それにしても「ちなみに私も若いが」と言える年齢だったんですね~、当時。それでも30歳を少し過ぎたくらいでしたか。微妙ですな。

こちらも現在に至るまでお付き合いが続いている「ha⚪︎氏」のお宅にこの時初めてお邪魔しました。それにしてもホームシアターの敷居が高い、というのは遮光ひとつ取り上げてみても分かりますね。今では液晶プロジェクターが当たり前になりましたが、当時は三管の画質がやはり優れていました。ただ大きくて重いので設置は大変ですね。結局自分も、ヴィジュアル方面にはあまり行かなかったですね。それほど映画を観ないというのもあるでしょう。テレビ台スピーカーを作って満足した程度に終わります。

お分かりの通り、この文章を執筆中に長岡鉄男氏は逝去されました。5月29日ですね。忘れもしないこの日は金沢に出張中で、その夜にそこで「ブランキージェットシティ」のライヴ(解散ツアーでした)に行っていました。ホテルに戻ってその興奮冷めやらぬ中、持ち込んでいたiBookを開くと大きな大きなショックを受けることになります。当然「嘘だろ?」というのが先に来ましたが、現実を受け入れると先ほどまで興奮していたライヴの余韻と混ざり合ってしまって、なんだかよく分からない混乱した状態に陥ってしまっていたことを思い出しますね。

結局、100%の画質ってどんなものだったのだろう?と思ったりしますね。現在は4Kだの8Kだの解像度を上げまくって「緻密さ」をアピールした画像が主流なんでしょうけれども、まだまだコンポーネント接続が最上位の時代はどうだったんでしょうね。ちょうどDVDが普及し始めた頃でした。まあ、普及のきっかけはプレステ2というのも面白いですけどね。

それにしても、ここでも調整に時間が掛かっていますね。これも今となってはいい思い出です。ところで、持っているはずの「デジビ」が探しても見当たらないんですよね~。困ってしまっております。写真を掲載しようかと思ったのですが…。まあ、見つけ次第更新するしかないですね。申し訳ございません。…と思ったら、以前撮った写真が見つかりました。

ここは長岡鉄男氏の一番「素」の表情が見られたシーンでした。これ、貴重ではないでしょうか。「サインを求められて照れる様子」というのは、後に寺島靖国氏も書かれていたように記憶しています。帽子姿の自分との会話と笑顔も、懐かしい思い出です。さて、いよいよお別れの時が来ました。

すいません、かなりボカシを入れさせていただきました。

名古屋駅まではまあまあの時間が掛かります。1時間弱といったところでしょうか。車中では長岡先生との会話もあまりできなかったのは残念ですが、カメラマン「生⚪︎氏」との会話で道中救われました。それにしても、本文のエピソードと併せて前日のバッテリー事件といい、本当にお世話になりっぱなしでした。26年前の自分に「この文章じゃ感謝の念が足りないよ!有り難い、じゃ済まないだろう!」と言いたくもなるものですよね。

この新幹線口でのお別れが、長岡先生との最後の会話になってしまいました。この時はまだまだ「次」がある、と思い込んでいましたからね。まさか、数ヶ月後に…。ただ逆に言えば「間に合った」とも言えるのではないでしょうか。さまざまな偶然などが重なって、長岡先生にお会いすることが出来たわけです。その後、モーレツにオーディオに取り組むことになったのも、この「刺激」があったからこそかと思います。

最後に、長岡鉄男先生に心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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